掃き溜め

ひとりひとつのLOVEじゃ足りないんじゃない?

お気持ち表明

 

「お気持ち表明」って言葉の響きが好きです。

といっても、今回は私の気持ちをメモ代わりにツラツラと書くだけなので日本語としては不適切なのは重々承知です。といっても、こんな辺境ブログを見てる人間なんて限られてると思うので何も考えないようにしてください。

 

さて、Mマス福岡の記事を書こうと思って早数ヶ月。新年度初めから担当上位を闘ったりその他諸々で社会や企業と闘ったりしてたら梅雨が来ていました。こんな形かつネガティブな話題で筆を取りたくなかった、というのは正直な気持ちなのですが、もうコレくらいしか自分の鬱憤を晴らす手段はないと思い、仕方なく今回の記事に至りました。

 

厳重注意とか活動自粛とかいった一件がキッカケで本稿は書かれた訳ではありますが、別に彼らに対して物申したくて書いてる訳ではない、ということはご理解ください。

そこには個人のスタンスとして、所詮ひとりのファンである自分は彼らの言動について述べるべきではない、という考えがあることが大きいです。人前に出る彼らには相応の振る舞いが求められるのは正論だと思いますが、その「相応の振る舞い」を規定するのは社会(ここには法や社会倫理などが含まれます)であり、自分のようなファン個人ではないと思っているからです。また、自身の性格・言動などのパーソナリティ面は他人から言われた所で根底から変えられる訳はなく、本人達の心掛けに委ねるしかない部分もあります。(これを他人が変えられるとしたら、とっくの昔にあらゆる不祥事は現世から消えているでしょうね)

要するに、ステージ上とそれ以外を混同して見る必要はないしむしろ見るべきではない、という話です。

 

そういった考えの元、彼らの応援を微力ながらさせてもらっている身として、そしてステージ上の彼らを好きになった身として、私は彼らを待つ事を選ぶのだと思います。

我々がファンを辞めるのは簡単だけれども、彼らがステージの上に立ち続けてくれる事は難しい。それでも、今まで通りの生活を選んでくれるとしたら、そして姿をまたいつか拝見する事ができたら、私は嬉しいです。

 

 

 

さて、先程「選ぶのだと思います」と断言を避けたのには理由があります。決して言葉のアヤではありません。

そして、ここからが本題です。

 

 

私が個人的に一番悲しかったのは「ファン」を名乗る方々から発せられる言動でした。最初の発言って、思ったより本音が出るんですよ。強い言葉を語る方は、大体批判から入るんですよね。

でも、その言葉は悲しみや遣る瀬無さから来る物ではなくて、誰かに焚きつけられた怒りや不安だと言う事に気付いていてほしかった。自分の頭で考えた故の結論なら、何も言わない。でも、その怒りのキッカケは本当に自分から発されたものだったでしょうか?

「〜が可哀想」「〜に謝れ」「〇〇やめろ」なんて言葉が一番象徴していると思います。貴方が好きなのはグループではなくてその個人で、都合の良い時だけ褒めて、都合の悪い時は平気で貶すんですから。まあ別にそれは良いと思います。好きな人に甘いのがファンという生き物ですから。でも、好きな人の事は自分で見た事しか信じないのに、他の事は他人からの伝聞を信じ込んでマトモに一次ソースも確認せず、脊髄反射的にマイナスの感情を発するのは如何なものなんでしょう。

そんな人達に可哀想なんて言われる当人が可哀想だと、私個人は思います。貴方が盾にした彼らには、想像以上にヘイトという名の矢が刺さっているのだから。「万が一の事態」がまた起きた時、矢が再び放たれるのは、貴方達に向けてではなく彼らに向けてなのは、重々分かっているでしょうに。

無責任な悪意で、彼らも彼らを好きな人達も、もう傷付けて欲しくない。勿論、矢を向けた貴方の好きな人も貴方も、傷付いて欲しくない。

 

こんなことは別に初めてじゃないんですよ。でも、同じ事を何万回繰り返したって何も状況は変わらなかった。むしろ悪化していっている。自分の好きな人が叩かれれば火の玉になって怒って、嫌いな人間がヤラカせば火に油を注ぎ続ける。そして燃え盛った火が燃え広がった結果、すべてを焼き尽くす。そんな人の多さに辟易してしまった自分がいます。

こんなネガティブな内容、匿名で書いた方が良かったとは思うのですが、敢えて名乗って語る意味は、決してこの話が特定の界隈の話じゃないと思っているからです。当然賢い方が多いのは分かっているんだけど、それでも声の大きい馬鹿(口が悪い)は全くやめようとしないし、同じ展開を繰り返し続けるし、毎回その度に傷付いて離れていく人がいる、それが嫌なんです。

 

自分の好きを決めるのは他人じゃない。自分のこだわりは高らかに宣言する割に、マイナスな事だけは他人の意見に流される人が後を絶えない。そんな人達に、都合良い時だけ色々御意見番の如く褒めたり貶されたりするのが許せないんですよ。そんな人達が「ファン」を名乗り、同じ会場で同じ景色を見ている。自分が特別だなんて全く思いません。でも、少なくとも、思考停止したまま当人を目の前にしたら言えないような汚い言葉を投げ掛け続けるような人達と同じにされたくない。それだけです。

 

自分の好き嫌い、信じる信じない、応援するしない、そんなの自分の価値観で決めなよ。貴方が応援しようと決めたんなら、それは貴方だけの宝物だよ。だから、それを人を傷つける武器には決してしないでほしい。

ここに書くのは自分自身への戒めです。忘れそうになった時、過去の私が未来の私を刺してくれるように。

 

 

 

「ファン」という共同体で見られる事に嫌気が差してしまっている事に気付いてしまったものの、「ファン」でしかない私はどう生きていくべきなのか。まだ考えないといけないなぁ、と思いつつ、眠いので寝たいと思います。前は諦めがついていたし、それも共同体であるファンの魅力だなって思ってたはずなんですけどね。

 

こんな僻地で説教みたいな文を読んでいただいて、ありがとうございました。